2010年1月号  2ページ目

「パパは自由が好き?」

パパはちょっと考えていった。

「そうだね。
自由になろうと努力はしているつもりだよ。
自由でリッパな人に少しでも近づきたいとおもっている

「自由な人って、リッパな人なの?
ボクは自由な人は無責任でラクチンだと思ったから自由になりたいとおもったのにな」

「ちょっと考えてごらん。
自由ってことは、何をしたいのかいつも自分で考えなくちゃあいけない。
勉強しろ、ゲームをやりすぎるな、お菓子をたべすぎちゃだめなんて誰もいわない代わりに、なにをしたらいいのか毎日自分で決めなくちゃあいけないんだよ。
何をして遊ぶか、なにを勉強するか、どんな本を読むか、どんな友達と一緒にいるか、どんな仕事をするか全部そうだ。
そして、自分で決めた場合は、うまくいっても、うまくいかなくてもぜんぶが自己責任なんだ。
それでいて自制心も必要だね。
パパはそんなふうにいつも自分で責任がとれる人はリッパだと思う。
そういう人は他人のせいにしないからね。だから自由な人はリッパなんだ」

「へー、ボクは自由はラクチンでいいなーと思ったのに…自由って自己責任で自制心がいるのかー。
なんかなんでも自分の責任だとおもうと、気が引けちゃわないかな」

「うーん、どうだろう。
パパは自己責任ってそんな重苦しいものでなくて、もっとスッキリ気分だと思うよ。
例えば、なにかが起こったときにそれは、誰かのせいだ、自分のせいじゃないと思う人と、反対にこれは自分のせいだと思える人は、次にどう考えるだろう?」

「他人のせいだと思うと、その人の悪口がいいたくなるね。
自分からは何もすることないとおもっちゃう。
だけど、自分のせいだと思うと…そうか、自分から次はどうしようと考えて、次やりたいことを思いつくかもしれない。
人の悪口をいってるときって重苦しいけど、次やりたいことを考えてるときは、気分がスッキリして、それで次やることでワクワクしているね」

「そうなんだ。
全く同じことが起こったときにそれが他人のせいだと思う人は口は動くけど、モンモンするだけで一歩は踏み出せない。
一方で自分のせいだと思える人は気分はスッキリして、ワクワクして次の一歩を踏み出せるんだ。
思い出はどんなときにできると思う?」

「それは…他人のことをどんなにしゃべっていたって、そんなことは、そういえば一年もたつと覚えてないね。
覚えてることっていうと、やっぱり自分がなにかやったことだね。
うまくいったことも、楽しいことも、嫌だったことも全部自分が行動したことしか思い出に残ってない気がする」

「そうなんだ。
思い出というのは、ほとんど自分が行動したことしか残らないんだよ。
パパだっていろいろあったけど、昔なにをしゃべったかなんてほとんど忘れちゃったよ。
でもやったことはケッコウ今でも覚えている。
たくさんしゃべっているだけの人は実はほとんど思い出の残らないカワイソウな人なんだ。
一方でたくさん行動した人はそれが仮に失敗にだったとしても、楽しい思い出として残るもんなんだよ


「そうかー、行動したほうが楽しそうなのは、なんとなくわかったよ。
でも、なんにも自分で考えずにやたらめったら行動する人が幸せになれるとは思わないんだけどな」

「他人から言われてそれでやたらめったら行動する人だったら、確かにその人はあんまり幸せじゃあないかもしれないね。
でも自由な人はどうだろう。なにをしても自由なんだから、自分でいつも決めてるだろう」

「ああ、そうか。
自由な人は行動する前に必ず何をしたいか考えるんだったね」

「そうなんだ。
それで、ひとつ行動すると、昔どんなにウンウン考えていても分らなかったことが、実験みたいなもんで結果がでるだろう。
実験が失敗に終わっても、やりたいことが変わっていなければ、今度はもっとうまくやりたいと思って、自然にまた考えるだろう」

「うん、そうだね」

「だから、自由な人の考える量、行動量はカッテに増えていくし、思い出もいっぱいできるんんだよ」



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