2010年8月号 4ページ目<完結>
「そこが、まず
誤解その@じゃ。
他人にとって利用価値のない人間は自由にはなれないんじゃ。
まず、他人にとってどうすれば自分の利用価値が高められるか考えることじゃ。
自分のつまらない満足感などクソくらえじゃ。」
あたしは、このへんてこなペンギンは絶対博士なんかじゃない、信じたあたしがバカだったと思ったが、かき氷はまあまあ美味しかったので
「じゃあ、人の役にたてるようにがんばればいいんですね」
と一応返事をした。
「それが、
誤解そのAじゃ。
がんばれとは誰も言っとらん。頑張りは自己満足にはなるが結果はほとんど生み出さん。
それよりも、
小さな工夫が出来ないか目を凝らすのじゃ。
そのためには頑張るのではなくてタンタンと平常心でやることじゃ」
「工夫をすれば結果がでるということですね」
「それは、またしても
誤解そのBじゃ。
何かをやったら必ず結果がでるというふうに考えておる者は永遠に自由にはなれん。
かなりいろいろやってみたなかで、
10%もうまくいけば儲けもんだと思っておる者だけが自由に近づけるのじゃ」
あたしは、だんだんムカツイてきた。
「じゃあ、何でもやってみなくちゃあダメということ?」
とイラッとしながらも聞いた。
「それが、凡人の陥りやすい、典型的な
誤解そのCじゃ。
なんでもやってはダメなのじゃ。
それでは、一番競争がキビシくて、一番割が悪く、一番勝者の少ない分野に人生の大半の時間を吸いとられてしまう。
それよりもなんとか自分でも出来そうな事の中で、あまり
人気がなく、華やかでなく、地味なことの中で、自分がこれだったら続けられそうだというものを探すのじゃ。
むしろなにをやらないか、なにをあきらめるかを決断することじゃな」
あたしは、なんか学校の先生とも親とも全く違って、全く夢のないことをいうペンギンおじいちゃんがいうことの意味が良くわからず、だんだん頭が混乱してきた。
なんとか気をとりなおして
「やりたくないことを整理してから、残ったことのなかでやりたい事を見つけろってわけ?そうすれば、評価が得られるってこと?」
「まさにそれが、自己に都合の良い
誤解そのDじゃな。
評価は毎日、毎月、毎年自分自身でするべきなのじゃ。
相手の意見はあくまでも参考意見じゃし、相手が自分以上に自分のことを良く考えてアドバイスをするなんてことはどだいムリな話じゃろうて」
「じゃあ、人の意見をあんまり真剣に聞いてはいけないっていうこと?」
「それは、さらに愚かな
誤解そのEといえるじゃろう。
自分の資質や能力、はたまた相手のレベルによってどのくらい相手の話に時間を割くかはケースバイケースじゃろう。
しかし、活字を読むことも含めて、人の意見を聞かなくてはそもそもよいアイデアは浮かばないものじゃ。
大体アイデアというのは自分でオリジナルで閃いたような気がしているだけで、実は過去に誰からから聞いたか、どこかで読んだことのあるアイデアの焼き直しか劣化コピーにすぎん。
しかし、
そんなアイデアですらちっぽけな自分ひとりくらい十分養ってゆけるものなのじゃよ。そして、他人がいつも聞くだけで、役に立つ話をしてくれるべきだという期待は誰もが陥る間違いであるが、実は傲慢にすぎん。
生のままで自分にまるっと役に立つ話なぞひとつもなく、自分自身に置き換えて消化しなければならんのじゃよ。
そこまできいたら、自分の部屋のベッドで目が覚めた。
着ぐるみは着てなかったので、暑苦しくもないし、視界も広くてほっとした。
ただペンギン博士の変な話はうろ覚えだがやけにリアルだった。
少なくともなんかスッキリした気分になったことだけは間違いないし、博士の
「たいていまた着ぐるみを着たいというのが関の山じゃ」
というフレーズはしっかり耳に残っていた。
あたしは絶対着ぐるみなんか2度と着るもんかと思って、珍しく2度寝をせずに、さっとベッドから立ち上がった。
(おわり)
(参考文献;非常識な成功法則、神田昌典、亜玖夢博士の経済入門、橘玲)