2011年4月号  3ページ目

処方その4;やってもやらなくてもよい事に対して、継続力を重視したか?(@岡本史郎)→これはなにかの運動、自分からの挨拶、自発性、なにかの勉強、食生活、なんでもいいのですが、誰にもやらなかったからといって非難される筋合いはないが、しかし自主的に自分でやり続けていることがあるか?ということです。

岡本史郎氏は「やらなくて良いことなのにやり続けている事が幾つかある人が生き残る。

そういうのがゼンゼンない人はマズイ」と書いていますが、僕も同感です。

人にやれとか言われてやってることは、所詮その程度でしかやれません。

それに行動が受身一方という意味でもあります。

価値観が多様になっていくなかで、自分を維持してゆくためには「これは細々とだけど、ちゃんと続いている」という自信だと思います。



処方その5;自己評価が高すぎなかったか?→何にでも、他人による評価、自分による評価という二つのモノサシがあります。

そして誰でもそうだと思いますが、自己評価は他者評価より高くなりやすいです。

「こんだけやったのに、何で文句があるの?もっと認めてくれたっていいじゃないの?」と思っちゃう時は、他者評価60点、自己評価90点位のときによく起こります。

一方で自己評価150点くらいを意識すると、他者評価は80点くらいになり、「ナカナカじゃない」と言ってもらえるようになります。

他者評価は自己評価よりも低いもんだ、と思っておけばマチガイないです。

自己評価が高すぎると、タダのガンコな人、カンチガイな人、エラソウな人になり不幸行き超特急グリーンシートにいつのまにか乗り込んでいますので注意が必要ですね。



処方その6;アタマとカラダのバランスはよかったか?→アタマで考えてみること、カラダでやってみることはどっちもとっても大事ですね。

しかし、うまくいかなかったことなんかを振り返りますと、アタマで考えただけだった、やってみるのとはエライちがいだったということがあります。

また、カラダでヒタスラやってみるだけだと、猪突猛進すぎて、気がついたらとんでもない方向にいっていたということもあります。

アタマとカラダのどっちをとる?という究極の選択に事態には、迷わずカラダのを優先するべきだと思いますが、そんな事態は滅多にありません。

たいてい両方のバランスがいい方がうまくいきますから、「アタマもカラダもちゃんと使ったか?」と振り返るといい方向に行きやすいですね。


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