2010年5月号  3ページ目

一方ドラマを想像する人は「ああすると、こうなるという脳の思い込み(@養老孟司)」に囚われ、一定の努力をすれば必ず結果がでるとか、人が認めてくれるはずだとか思っています。

また、結果が遅れたり、他人の評価が遅れることにガマンができません。

今までわかってくれなかった人が、振り向いてくれて、「そうか、そういうことだったのか!大したもんだ!」「見直したよ!」「今までゴメンネ!」といってくれて→これからもよろしくね!と、握手、ハグ、皆の顔が交互にアップ、みなうっすらと涙を目に浮かべており、興奮で顔は紅潮している→happy endという感動のドラマを今か今かと妄想していますが、作業自体は進行していません。

そのうちに根気がきれて、小さな壁にぶちあたると「どうして結果がでないんだろう、どうして皆わかってくれないんだろう」と思い「どうして?」病と「くれない」病にかかり→「私ってなんて可哀想でケナゲなの」と自分だけはすっかり悲劇のドラマの主人公気分になり→そのうち、それも飽きてくると「誰か私をかまって、助けて、癒して」となり、とってもありふれてどこにでもある話で終わります。

感動のドラマを想像するのがスキ、作業はキライ、結果が欲しいけど、過程はすっ飛ばしたいワケですね。

そしてテレビのドラマをみて、どうして私の人生とこんなに差があるの、ちゃんと主人公は1時間枠のなかで、努力が報われてハッピーエンドなのに、ズルイー(怒)とプンプンしています。

他には、創造する人→ツッコミどころ満載の一見セコく、小さな目標を立てて、毎日実行する(あんまりパットしないし、カッコよくもないし、地味なので恥ずかしくて人には言えない)→それをこなすことで着実に自信もつき、次はほんのちょっとマシな目標を立ててまたやる→何年もたつと意外にスゴイことになっている。

一方、想像する人→ドラマチックなカッコいい、誰もが納得し、憧れるスバラシイ目標をたてる。

せっかくいいことを思いついたので、嬉しくなって他人にペラペラしゃべる→本当にやれるのなら、スバラシ過ぎるので、誰もツッコメない。

すごいね、頑張ってねとしか言えない→しゃべっていたときは楽しかったのに、やるのって大変じゃんと気づく→すぐに結果がでないのでアホらしくなってくる→やーめた→フリダシにもどる→なにか、またカッコいい目標を立てる→人にペラペラしゃべる→(以下同じなので省略)



いかがでしたか。

お互い想像はほどほどにして、創造する側にすこしでも近づきたいですね(^^)



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