2011年1月号  3ページ目

といった内容で彼の主張は相変わらずクールですが、リアルでありためにはなります。
ただ不公平さという問題は解決していません。
家柄、国籍が関係なくなったとしたって、生まれ持った能力の高低、能力の種類という不公平は埋まらないからです。
だとしたらこれからの時代に必要なのは
「なんらかの種類の強さ」
ですが、それには、海辺のカフカ(村上春樹)の中でカフカ少年が佐伯さんに話したことがヒントになります。
少年は佐伯さんに強さを求める者は、さらに強い者に滅ぼされるのではと尋ねられ、こう返答します。


「僕が求めているのは,僕が求めている強さというのは、勝ったり負けたりする強さじゃないんです。
外からの力をはねつけるための壁がほしいわけでもない。
僕がほしいのは外からやってくる力を受けて,それに耐えるための強さです。
不公平さや不運や悲しみや誤解や無理解―そういうものごとに静かにたえていくための強さです」

「それはたぶん、手に入れるのがいちばんむずかしい種類の強さでしょうね」

「知っています」


これを読んだとき、ああ村上氏は個人の時代に求められる今までとは違う意味での強さを言っているのだなと思いました。
究極には不公平さというのはなくなることはありません。
例えば私たちは日本という先進国に生まれており世界標準で言えば、究極に運がいいのですが、それを普段自覚することは滅多にありません。
代わりに日本人同士の不公平さについて意識がいくことはよくあるでしょう。
また、運の作用も大きいので、同じような能力をもっていても、結果はやはり不公平です。
いい結果がでる場合もあるし、悪い結果しかでない場合もあります。
しかし、悪いことが後から振り返るとそんなに悪くもなかったなーとか、むしろよかったなーくらいに思える時はあります。
その差は大きいです。
ではどうしたらそうなるんでしょうか?それは、例えば事前に準備をしておいたにも関わらず、工夫をしておいたにも関わらず、それでもうまくいかなかったときだと思います。
それは、なぜかというと、次にやるべき対策が立てられるからです。
準備0工夫0で悪いことが起きたとき、何でそうなったかはサッパリわかりません。
あれもこれもしていなかったからです。
原因はあれかもしれませんし、これかもしれません。
次もまた0からスタートです。
しかし、準備や対策が仮に不十分でもやってあった場合はどうでしょうか?かなりの確率で
「悪いことを呼び寄せた理由」
が分かっちゃうことが多いです。
そして一番いいのは次にやるべきことがわかることです。
ここで、またまた海辺のカフカからです。
登場人物のナカタさんは、幼少期のある事件をきっかけに記憶喪失になり、その後知恵遅れになってしまいますが、一方で特殊な能力を開花させます。
ナカタさんはあることをした後で相棒のホシノさんにこう尋ねられます。

「で、俺が知りたいのはさ、何かが実際に起ったんだろうか、ということだ」

「はい起こったと思います」

「そうすれば、いろんなことはみんな無事に解決するんだろうね」

「いいえ、ホシノさん、それはナカタにはわかりません。
ナカタがやっておりますのは、つまりやるべきことであります。
それをやることによって、どのようなことが起こるのかまでは、ナカタにはわかりません」


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